春の九州旅行
筑豊をめぐる6日間

3月の1日から6日にかけて九州地方へ旅行に行ってきました。初日はムーンライトながら、2日目は京都観光とあかつき号の乗車、3日目は後藤寺線の快速に乗車、4日目は小倉への移動、5日目は香椎線と博多南線の乗車が主なテーマでした。

今回は博多南線乗車からあかつき号乗車までです。

 

博多駅の新幹線連絡改札口で博多南までの往復切符を買って新幹線ホームへ。18時9分発の博多南行はこだま727号がそのまま博多南線に直通になる。東京ならまだこれからといった時間だけど、ホームには驚くほどの列ができていた。6両の最後部122-5003に乗車、新幹線の車両だけどあまり飛ばさずに走ること約10分で博多南に到着。

列車名がなくても号数だけは表示されるのがまた不思議。ちなみに全車自由席なので自由席号車の表示はない。
ぶれてしまいましたがこれしかないので…
列車名がないので行先の表示はこれだけ。列車名がないとこれだけ大きい表示になる。
もちろん博多行も同じ
博多南駅前というと簡易な駅舎しかないイメージだったけど、駅前にはバスターミナルと一体になった立派なビルがあってなおかつ周りは医者ばかりでびっくり。少し離れたところには西友もマックもあって想像とは随分違った。

早めにホームに入って車庫を眺めようと思ったけど到着電車が来るとのことで駄目だった。仕方ないから待合室で時刻表を読んで時間をつぶす。結局到着した電車の客扱い終了後に入場することができた。もう周りは真っ暗で車庫内はあまり見ることができなかった。

博多南駅にて。ここだけ見るとまさに車庫に付随した駅!!
それでもここから東京駅まで新幹線がつながっている。
帰りも100系で博多駅へ。九州最後の夕飯として選んだのはまたもやラーメン、博多駅のホームの立ち食いスタンド。常務を終えたばかりの車掌さんまで一緒になって食べていたのが印象的だった。

鳥栖に行くのに特急電車はいろいろ考えられるけど、唯一乗ったことのなかった783系に乗ることにした。となると自然と列車は決まるわけで…20時32分の特急みどり佐世保行、分割作業をしてからの発車というわけでホームで分割作業をしていたけど…実に複雑な運用を組んでるんだねぇ…。車両的には「かもめ」「ハウステンボス」「みどり」になるわけだけど常にこの組み合わせじゃないわけだから…あんまり考えたくないですね(^^;)

4両編成のかなり身軽な編成になってホーム中央に移動。ようやっと扉が開いて最後尾のクモハ783-15に乗車。とはいえ…いくらなんでも混みすぎなような(^^;) さらに4両を佐世保に行かせるさせるわけにはいかないんだろうけど、4両編成じゃねぇ…(直前にリレーつばめがあることを考えると佐賀方面の乗車率がかなり高いことになる)

揺られること20分あまりで鳥栖に到着。最初に来たときと同じく改札に行って下車印とこれから使う切符にハンコを捺してもらう。ついでに…駅舎の写真も撮ったけどぶれてまるで駄目だった(^^;)

駅前のローソンで腹ごなしにアイスとジュースを購入。この時点でカバンの中は飲み物だらけだというのにねぇ…(ただし寝ている間の水分消費がすさまじいので必要なもの)

でもいくらなんでも発車まで1時間近く。何のためにこんなに早く来たのかといえば併結作業を見るため。分割と違ってかなり複雑な作業が伴うものだからと見てみたかったのだ。

まずは熊本から寝台特急なは号が到着、すぐに機関車を切り離す。(放送では「なは」「あかつき」両方を放送)
今度は別のホームに寝台特急あかつき号が到着、787毛の発車後に入れ替え作業を行う(放送では”列車”扱い)
熊本からの「なは」が到着してとりあえず前後から撮影、ついでに車番チェック。そしたらなんと行きに乗った編成とまったく同じだった。続いて長崎から「あかつき」号が到着、誘導にしたがっていったん博多方に引き上げる。で、ゆっくり後退してきて(放送では”列車”)無事に併結完了。今度また車番を確認するとあれま、こっちも同じ編成。というわけで帰りの編成は…

この日の編成は下のとおり。

    ←京都

あかつき

長崎→

 

←京都

なは

熊本→

 
EF66   オハ
14
スハネフ15 オハネ
15
オハネ
14
オロネ
14
スハネフ
15
  オハネフ
25
スハネ
25
オハネ
25
オハネフ
25
カニ
24
 
50   301 7 353 302 302 6   2106 2124 142 156 6  
    18-11
網干
19-7
網干
17-9
網干
19-6
網干
18-5
網干
17-10
網干
  18-10
小倉
16-7
小倉
16-12
小倉
16-11
小倉
16-9
小倉
 

※表の見方:上から列車名、形式、車番、出場月/場所(妻面で確認)
熊本〜鳥栖はED76-94牽引。長崎〜門司間はED76-91牽引。
向日町から京都までの牽引はEF66-47号機。

下りで確認できないスハネフ15-6とオハネフ25-156、カニ24-6の確認だけして早々と車内へ。一応押さえるもの(「なは」テールマーク、方向幕2種)は押さえておいた(^^;)

偶然にも行き帰りで同じ編成だったし、座席も1番違いだったからなんとなく同じ場所。ただ違うのは機関車に牽かれている感じがすごく伝わってくる。汽笛に牽引力に…まぁいろいろ。

博多を過ぎて門司に着くころには寝ていた。よって機関車交換作業は行きともども見れていない(^^;) ここでしか見られないステンレス車だったのではないかと実に気になるところ。

なぜか下松駅を通過した記憶はあるけどはっきり覚えているのはちょうど明石海峡大橋に差し掛かる手前だった。朝早いのに明石海峡大橋の解説をしていたけど、考えてみたらこの解説って定期列車では「なは」「あかつき」だけのものだったのかもしれない。沿線にたくさんの撮影者がいたけど、正直なところどんなんだったんだろうねぇ…

やっぱりこうなるよねぇ…。EF66の周りはこの有様。
ちょっと空いてきたころに2晩お世話になったオハ14-301を撮影。もう乗れないと思うとちょっと寂しい。
京都駅で「なは」「あかつき」を見送った後、偶然にも117系の原色車がいたので321系とともに1枚撮影。
随分世代が違う車両が並ぶのも西日本ならでは。
31番線のうどん屋で朝食でもよかったけど、急いでいたこともあってすぐに新幹線ホームへ。結局朝食は京都駅で買った駅弁だった。

本来は京都駅から米原駅まで新幹線で残りは在来線をひたすら東上する予定だったけど、急ぎの用事(実家に帰る)ができてしまったので小田原まで新幹線利用に変えた。とはいえ小田原停車のひかり号は結局米原に停まるから…いいのかわるいのか。ひかり364号の最後尾に座って朝食+文庫本を読む。熱海を過ぎてあっという間に小田原に到着。本来は名古屋手前の時間だったことを考えると…新幹線の速さに驚くばかり。

小田原で精算したときに特急券をもらおうとしたけど、精算の証明になるから駄目なんだとか。うーん…もったいなかったなぁ…

小田原からは東海道線の快速アクティーと小田急線を乗り継いで実家へ。九州の電車・気動車に乗ったあとだと231系と小田急の3000形が貧弱に見えたのはいうまでもない(^^;)
すっかり忘れていたけど直方駅で撮った平成筑豊鉄道の気動車。南国らしい明るい塗装。

ここで旅行記は終わりです。
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